自然の状態に人為を入れるということ
習慣化に取り組む作業自体が、
自然の状態に人為を入れるイメージになってきました。
例えていえば、荒れ放題の公園に人為を入れて整備をする。
ただ意図する設計者(頭)の思う通りにはいきません。
設計者(頭)は、道と草がはえているところをまっすぐに
した方が、見た目もいいし、良いと考えますが、
草(心)はまっすぐにして心地よいかは、聞いてみないと、
あるいは一度やってみないと分かりません。
それでも強引に頭がやってしまうと、
心が反発を起こし、協調しません。
かといって、心も今の自然な荒れ放題な状態を望んでるわけではない。
頭にきれいにしてほしいが、心地悪くはやってほしくない。
今取り組んでる作業はそんな感じに思えます。
これにぼくはとっても言い知れない神秘を感じて、
朝から涙を流しています。
そう。そうしてほしかったんだ。
あなたと一緒に作りたかったんだという心の声。
これは作品創りもまったく同じです。
心は自然に思ったところあるゆるところに、話をのばそうとするけど、
作家はそれをうまく導かないといけない。
でも作家は頭でそれを作れない。
頭でそれを作ると、頭でっかちで深みも面白みもない作品になってしまう。
これってどの仕事もいえるのではないでしょうか?