世界 8.屋敷の外側の世界

下の世界の住人たちは、嵐の日を除き、ほとんど毎日一人はやってきた。
屋敷の外側では、週に二度は嵐が吹き荒れた。
そしてその間をぬうように、下の世界の人々はやってくるのだ。
 
下の世界の人々は基本的に歪んでいた。
心だけでなく、それにあわせて体も歪んでいるのだ。
彼らが笑みを浮かべると、なんだかこの世のものと思えない恐ろしい顔に歪んだ。
 
それでも彼女の元に二、三度きて、心を縫い合わせてもらうと、幾分その表情も和らいだ。彼らが屋敷を出ていくときは、体が軽くなったように、スキップでもしそうな勢いで出て行った。
 
たいていの人は治療が終わると屋敷に来なくなったが、ひとりだけ来る男がいた。
それがパンだった。
パンはとにかくおしゃべりが好きで、紹介者を連れてくるかわりに居間に居座り、いろんな話をした。
少女はパンが好きだったし、彼の語る独特な話の内容や、大げさにしゃべるしゃべり方が好きだった。
パンがいると、暗い屋敷に光がともった。
 
もしかしてパンは彼女のことが好きなのではないかと、少女は思ってみた。
そうなればいいなと、少女は思った。
パンと彼女の間に入ると、少女はちょうどいい感じがしていた。
彼女とふたりだけだと、かたよりが生じる。
 
 
ある日少女はパンと屋敷の外に連れて行ってもらう約束をした。
カードゲームに負けて、パンは不承不承その約束を受け取ったのだが、その裏には少女を外に連れ出したい心が見え隠れしていた。
 
パンは食事の後に彼女を笑わせた後、ゲームに負けて仕方ないので、すぐそこの階段まで少女を連れて行ってもいいかと聞いた。
 
彼女は少しの間しんと黙ったが、驚いたことにうなずいた。
その時がとうとうやってきたかのように。
 
 
外は嵐の後でむわっと地面から雰囲気が無言で立ち上がってる、そんな見えない騒々しさがあった。
 
少女は記憶がないくらい長い間屋敷から出てなかったので、外の世界は新鮮だった。
少女はパンと彼女の間に入った。
そこは少女が落ち着き、ぴたっと入る場所だった。
パンは意外にもにこにこして、あまりしゃべらなくて、少女も何をしゃべればいいのかよくわからなくて、静かに歩いていたが、それが永遠に続けばいいと思うほど心地よかった。
 
しかし階段の前にくると雰囲気がガラっと変わった。
階段はらせん状にずっと下まで続いていて、先が見えなかった。
 
少女の口から思ってもみなかった言葉が出た。
 
なんで下ではこんなに悲しく辛い世界が続いているの?
なんでみんな仲良く平和でいられることができないの?
 
それは少女の口を借りて、どこか深くから発せられた言葉に聞こえた。
 
「仕方ないことなのよ。どうすることもできない。人っていうのはそういうものだから。相手より自分を大切ものだから。そう設計されてるのよ」
 
「いや、人っていうよりも土地がそうさせてるんだよ。下はここと違って、重力が重い。それにつられて人の思いもより重くなるんだ。人自体に責任はないよ」
 
「責任はない?どんな条件状況の中でも、人は自分がしたことについて責任を持たないといけないと思うわ。それじゃ成り立たないもの」
 
少女は二人の間で口論がされるのではないかと、びくっとした。
 
しかしパンは彼女の声を受け止め、にっこりした。
 
今度はいつ来るの?、と少女は聞いた。
 
「うん、近いうちにまた来るよ」
 
でもその言葉は真実と反対のことを言っているように少女は聞こえた。
もうパンと会えないかもしれない、パンを握る手が強くなった。
 
 
その時、下から人が上がってくるのが見えた。
みるみるうちに人影はらせん階段を上って大きくなり、顔かたちが見えてきた。
 
その男はこなきじじいみたいに、背が低く、体が硬そうに見え、表情も重かった。
彼はパンに低く何か大切そうなことをつぶやいたが、少女には意味が理解できなかった。
同じ言葉を使っているのに、通じない。
 
こなきじじいは彼女と少女に視線を移した。
意図はないにしろ、ギロッとにらんでいるような恰好になった。
 
彼は歩み寄って、少女の手を取ろうとしたが、間一髪彼女が少女の手を引いて、つかめなかった。
 
パンは静かに、行こう、と言った。
しかし彼はしばらく二人を、恨めしそうににらんでいた。
 
やがて下の住人はらせん階段を降り、元のところに戻っていった。
見えなくなるごとに、少女はもう二度とパンと会えないという気持ちが強くなり、自然と目に涙が浮かんでいた。
 
戻ろう。
 
彼女は言った。
 
彼女が笑顔を見せてくれたので、少女は安心した。
いつもは見えない彼女の顔が少し見えたように感じた。
 
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