「ささやかだけれど、役に立つこと」
今日は朝カフェで、今度の演劇ワークショップでやるレイモンド・カーヴァーの短編「ささやかだけれど、役に立つこと」という短編の脚本を書き起こした。
ぼくにとって素晴らしすぎる本で、久しぶりに感動して泣きそうになった。物語の最後に子供を失った夫婦に、パン屋がシナモンロールを焼いて食べさせる。
「ちゃんと食べて、頑張って生きていかなきゃならんのだから。こんなときには、ものを食べることです。それはささやかですが、助けになります」
人は孤独だ。本気で自立して見つめれば見つめるほど、人間と言うのは孤独なものだ。
それを昨日おれもまた実感した。切り離された存在。
なぜ孤独を感じるのか、人類が500万年間突破できなかった観点の問題の外に出て、すべての宇宙のメカニズムを悟り知れる、それが観術だし、10年もしたら今当然とは思えない「自分と自分の宇宙は実在しない」という真実が当然になる。
そんな風に人間の認識もバージョンアップして、この孤独感・絶望感もどういう認識に変わるかわからない。人類のクラウドが変われば、語られる物語も変わるだろう。
しかし今日は1980年代のアメリカの田舎町の、自分をちっぽけな存在と感じて生きてきた普通の人々の話を読み返し、共感し、涙した。
昨日夏目漱石の「こころ」を流し読みしていて、ふといいアイディアを見つけた。「こころ」は1914年当時、新聞の連続小説として掲載されていたらしい。
おれもずっと脚本を書こうと思っていて、まとまった時間が取れなくて、鬱々していた。
書ける範囲、ということで、一週間に一回このブログに連続小説を書きなぐろうと思う。
ずっと心で温めていた「世界」という作品で、完成系としては映画シナリオで、たぶんアニメーションの形でリリースしたいと思っている。
よかったら読んでくださいね^^