「武士道とは死ぬことと見つけたり」

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ジム・ジャームッシュの映画「ゴーストドッグ」で
葉隠」をひたすら読む、主人公の現代の黒人の侍がいた。

そのとき日本人のぼくは「葉隠」がなにかもよくわかっていなかった。

「侍」とは昔の古臭い日本人のなにかとしか理解してなかった。


しかしあれから15年(?)たった今、
「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉に身を震わせるぼくがいる。


生か死かを選ぶ際に、死ぬ方を選ぶ。
腹を据えて、ただ今ここを進む。

相対世界の中で人は「生」を求める。
それは境界線がないところから生まれた存在であれば、当然だ。

条件反射で生を選ぶ。生に本来ない意味価値をつけて、脳を納得させる。

本当は生も死もない。ただひとつの動きがあるだけ。

その本質的な理解が、武士道と重なる。
昔の日本の武士たちは、感覚的にも悟っていたのだ。

「死」という対局を見つめるとき、対称性にある本当の「生」が生きはじめる。

現代の侍の時代が幕をあける!!