シネマビュー002 「幸福」

シネマビュー2本目にセレクトした作品は、1965年のフランス映画「幸福(しあわせ)」だ。
心に残る作品というのは、目に見えない「なにか」を持ってると思うんだけど、この作品も何気ない日常のしあわせの中で、鋭い問題意識を投げかけてくる。
監督はヌーヴェルヴァーグの左岸派の女性監督、アニエス・ヴァルダだ。
アニエス・ヴァルダの作品は、見尽くしたい気分だ。

物語は、フランソワとテレーズという愛に満ち満ちた二人の夫婦の話だ。
フランス人らしく、うらやましいくらい愛を語り、お互いのしあわせを確かめあう。

しかしフランソワはある日少し離れた町の郵便局で、エミリという別の女性に恋をしてしまう。
やがてフランソワとエミリは付き合うようになるのだが、ある意味純粋で子供のフランソワは、罪悪感がまったくなく、「動物的なエミリも、植物的なテレーズも、どちらも愛してる。しあわせなんだ」と言う。

いつも休日に家族と行くピクニックで、フランソワはテレーズに、エミリのことを告げる。
テレーズはフランソワに笑顔で、「あなたがしあわせなら、わたしもしあわせ」的なことを言うのだが、フランソワがうたたねしている間に池に入り溺死する。

ものすごい「うったえかけ」だと思う。このテレーズのうったえかけが、おそろしいくらい美しく、怖く、純粋で、傷つきやすく、なんともいいがたい。
男なら気持ちが分かるけど、ふたりの違う性質の女性に愛されて、フランソワはしあわせに満ち足りてるんだと思う。
でもその子供のようなしあわせは、「自分がしあわせならば、人もしあわせなのか?」と問う。
この一口には言えない矛盾性が「人生」であり、「大人になること」なのだと思う。

時が過ぎ、フランソワとエミリは自然に夫婦になり、二人の子供を連れて、同じように湖畔に行く。
フランソワはテレーズの死を通して何を学んだのだろうか?

アニエス・ヴァルダは、この作品で「幸福」の素晴らしさとペアになってる暗部をうまく描いていた。
そして何よりも、テレーズという女性が、スクリーンの中でなく、本当に存在した女性として、ぼくの心に刻みこまれた。
素晴らしい作品って、こんな風に「本物」として心に刻まれる。

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